病院概要
病院名(法人名) | 一般財団法人 鎌倉病院 |
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所在地 | 〒248-0016 鎌倉市長谷3丁目1番8号 |
電話番号 | 0467-22-5500 |
FAX番号 | 0467-22-5502 |
設立 | 明治32年 |
延床面積 | 3,682㎡ |
従業員数 | 162名 |
診療科目 | 整形外科・内科・皮膚科・リハビリテーション科・麻酔科 |
病床数 | 一般病棟 34床 地域包括ケア病床33床 療養病床 18床(休床中) 合計 85床 |
施設基準 | 急性期一般入院料4 地域包括ケア病棟入院料Ⅱ 診療録管理体制加算Ⅱ データ提出加算 救急医療管理料 入退院支援加算2 せん妄ハイリスク患者ケア加算 看護職員配置加算(地域包括ケア病棟入院料) 看護補助者配置加算(地域包括ケア病棟入院料) 運動器リハビリテーション料Ⅰ 脳血管疾患等リハビリテーション料Ⅱ 廃用症候群リハビリテーション科Ⅲ 入院時食事療養(Ⅰ) 薬剤管理指導料 二次骨折予防継続管理料 CT撮影及びMRI撮影 二次救急指定医療機関 脊髄刺激装置埋め込み術及び脊髄刺激装置交換術 麻酔管理料(Ⅰ) 感染対策向上加算3 サーベイランス強化加算 椎間板内酵素注入療法 労災指定医療機関 生活保護法指定医療機関 |
入院相談窓口 | 所属部署:地域連携室 担当者:元橋、川本 問合せ時間:月~土 9:00~17:00 問合せ時間内でご連絡下さい。 |
交通手段 | JR鎌倉駅よりバス15分「大仏前」下車徒歩1分、または江ノ電長谷駅より徒歩10分 |
沿革
創立者 岡本武次は紀州和歌山の人で若くして華岡塾に学んだ。
明治12年(1879年) 旧藩主の命により上京、語学を研鑚した後、東京大学医学部に入り
明治23年卒業、同期には土肥慶蔵、宮入慶之助等の名がみられる。
明治25年 現、日本橋三越の近くに日本橋病院を開設し、隆昌を極めた。
明治32年(1899年) 当時の内務省医務局長、中浜東一郎との共同経営で現在地に
鎌倉病院を開設し、日本橋病院の分院として多くの結核患者を収容した。
今を去ること百十余年の昔である。因みに、中浜東一郎は「万次郎漂流記」の
ジョン万次郎の長男であり、明治14年東大医学部卒、森鴎外とは同期である。
**** 以下、時代順に沿革を箇条書きに記す。 ****
大正11年(1922年) | 岡本武美、二代目院長となる。 |
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大正12年 | 関東大震災により日本橋病院焼失。鎌倉病院も多大の損害を受ける。 |
大正15年 | 損害を受けた建物を取り壊し木造二階建ての瀟洒な診療室と病棟が完成。 |
昭和21年 | 三代目院長、岡本義利、復員し診療を再開する。 |
昭和24年(1949年) | 財団法人鎌倉病院となる。理事長に岡本義利就任。 |
昭和28年 | 震災以来の建物を取り壊し新しい木造の病棟完成。 |
昭和30年 | 木造本館完成。 |
昭和42年 | 展望病棟完成。 |
昭和45年(1970年) | 整形外科、理学診療科、増設。 |
昭和49年 | 木造建物の半分を壊し、近代設備を有する鉄筋三階の本館を新築。 |
昭和50年 | 四代目院長、岡本禎三が就任する。 |
昭和54年 | 既存木造建物の残り半分を壊し、鉄筋三階の新館が竣工、本館と連結する。 |
昭和58年(1983年) | 財団法人理事長(二代目)に岡本禎三が就任する。 |
昭和59年 | 五代目院長、泉 清高が就任する。 |
平成11年 | 療養病棟の認可。 |
平成12年(2000年) | 療養病棟55床のうち28床を介護保険病床の申請認可。 |
平成15年 | 病床区分変更を申請認可・一般30床・療養55床(内介護28床) |
平成21年 | 病床区分の変更申請・認可:一般30床・医療型療養55床(介護を廃止) |
平成22年 | 六代目院長、相原康之が就任する。名誉院長に、泉 清高が就任。 |
平成22年 | リハビリテーション専用施設増設、運動器等の治療・訓練を拡充。 |
平成24年(2012年) | 移行認可を受け一般財団法人鎌倉病院に名称変更。 |
平成26年(2014年) | 七代目院長に泉 清高が就任。 |
平成27年 | 療養病棟内に地域包括ケア病床(12床)認可。 一般財団法人理事長(三代目)に前田章が就任する。 八代目院長に井上 馨が就任する。名誉院長に、泉 清高が就任。 |
平成28年 | 九代目院長に三松興道が就任する。 |
平成29年 | 病床区分の変更申請認可・療養43床のうち18床地域包括ケア病床。 |
【平成29年5月現在】